雷魚の家族 北関東某所で
おはようございます。
先週のエントリーに続き、雷魚の話です。
これはいずれ紹介しようと思っておりましたが、
2016年夏に北関東某所で実際に見た、雷魚のペアと稚魚です。
黒いモヤっとしたかたまりが、稚魚の集団でした。
近づくと逃げるので、遠くからかなり拡大しての撮影なので見づらいですが…
ここは釣り場ではなく、ライギョ以外にも魚や水鳥が自然の状態で生活している水辺公園のような場所です。多分ですが行政か何かの管理下で、パトロール系の人も常駐してる系でした。
ペアの片割れは、カムルチーやタイワンドジョウに見られる斑点模様があるがかなり細かく、特徴的で、
ハイブリッドかな?
としばらく思っていたのですが、
先日紹介した月刊アクアライフ3月号にも、
カムルチーとタイワンのハイブリッドは存在するとのことだったので、恐らくそうだったのではないかと思います。
画像上部の個体はおそらくカムルチーでしょう。
カムルチーは体長が30cmくらいになる頃には繁殖が可能になるといわれています。
大きさから見てもこのペアは、まだ若い雷魚だと思われます。
http://bankara3.hatenablog.jp/entry/2018/02/16/234642
月刊アクアライフに雷魚が!
おはようございます。
雷魚メインのブログなのに最近雷魚のことを全く書いていなかったのですが、m(__)m
久しぶりに紹介できる話があります。
月刊アクアライフ3月号
なんとスネークヘッドが表紙を飾りました。
出張先でよく行く駅の中の書店で見つけました。欲しい本がなく出て行こうとしていて見つけたので、「買え!」ってことだったのだと思います。
スネークヘッドって人気になりつつあるのでしょうか?
まあ最近よくやってる池の水を抜くテレビ番組…
あれで関西某所でライギョが大量に出たとか。
その回は見ませんでしたし、それ以降ライギョが出てくることってあの番組には無かったと思いましたが。
ライギョマンたちから苦情でもいったのでしょうか。
もし私も目の当たりにしたら苦情言いたくなると思います。
あれでも認知度が?
でも、特定外来種ではないですからね。
あの番組も最初の頃は「駆除」してたようでしたが、最近では外来種を飼育している施設に預けているみたいですし。
外来種以外にもですが、飼うなら絶対最後まで。
それはこの雑誌にもよく書いてあります。
現在特定外来種とされていない生物も、人間の振る舞い次第でどうなるかわかりません。
最近だとアリゲーターガーがそうであるように。
アリゲーターガーも何年も前のペットブームの被害者といえるでしょう。
雷魚に興味がある人たちは、この雑誌でたくさん勉強して雷魚キーパーの仲間入りをしてください(^^)
釣り師の方も楽しめる内容だと思います。
今シーズンオフですし、雷魚の写真たくさんで、写真集としても楽しいです。
内容はかなり充実していて餌、水槽の作り方、繁殖の様子(これは貴重!)、スネークヘッド種類別の性格や特徴など今まで雑誌や本では書かれなかったことが載っています。
売り切れる前に是非!
ちなみにうちの雷魚も元気に凶暴です(°▽°)笑
【画像あり】ルパン三世の若い頃の姿
おはようございます。
多分ですが、私にとって大人になってから見た初めてのカリオストロの城だったと思います。
感想が、あまりにも昔と違いすぎて自分でも驚いています。一言で言ったら、最後のシーンにじいさんが言う「なんて気持ちのいい奴らだろう」というのに尽きるのですけど、さわやかなセンチメンタル映画だなと思いました。希望のある終わらせ方ですよねー。
アニメ版ルパンは、一部マニアの間では通称「お子ちゃまルパン」というみたいなのですが、(多分原作がかなりアダルトな為)
その、「お子ちゃまルパン」に、
お子ちゃま時代の文緒はかなりハマっていて、
再放送で何回か見たのが5歳頃、
レンタル屋でレンタルしてきてまで見ていたのが小3頃。ハマっていたのはその時です。
この時ほとんどのテレビシリーズは見たのですが、ヌケがあることが最近判明。
最近はBSでのテレビ再放送を録画して、ヌケの部分をたのしみに見ていましたが、最近外付けハードが壊れまして…(マジです!)
…
今のは前置きです。
先述した、カリオストロの城にもルパンが若い頃と思われる回想シーンが登場しますよね
ルパンが爆発で飛ばされて、次元と五ヱ門に助け出されてベッドで寝ているときの回想シーンで、
昔、カリオストロの城に侵入し失敗して力尽きているところを、子供時代のクラリスと犬(名前忘れたわ)に発見される場面です。
昔らしいのですが、見た目同じです。
クラリスが今より子供なので、何年かは「昔」なんでしょうけど…
ちなみにルパン三世の年齢は公開されていませんが、銭形とは同じ大学とかで…
ただし、あくまで同じ大学というだけですが。
今回はもう一つ、ルパン三世の昔「本人談」の秘蔵映像?を見つけました。
テレビ第二シリーズ50、51話「私が愛したルパン」という回で、前編、後編があります。
内容は割愛します。
本人いわく、「昔」といっていましたので、年齢は不明。
なんかチャラいですね…笑!
ちなみにルパン三世は漫画版(原作)、アニメ版、映画版とかで、
設定がコロコロ変わります。
昔の漫画やアニメって、今みたいに外伝やOVAとかが無かった時代なので、そこまで細かくこだわっていないのでしょう。
(でも、「ルパン小僧」というのがありますね!笑)
漫画ならではの表現(驚いて目が飛び出たりとか爆発に巻き込まれたキャラクターの髪がアフロになるとか)がよく見られるのも古い作品の魅力ですねー。
洗った食器の置き場所を考える。
おはようございます。
去年なんですけど、「オシャレな人の家のキッチンにないもの」だったかっていう記事をネットで見たんですけど、
そこに、
「キッチンマット」
と
「洗った後の食器を乾かすカゴ」
というのが出て来ました。
キッチンマットは、もうだいぶ前から使っていません。
台所の足元周りに布を敷いて、果たして何の意味があるのか疑問だからです。無い方が掃除も楽です。
食器カゴをなくすのは、少し抵抗がありました。
食器カゴの方は、「食器カゴの代わりに、マイクロファイバークロスやセルロースクロスを敷いて水切り場にする。食器が乾いたらクロスも撤去するのでキッチンが広くなる」
と書いてあり、「これはいい!」と思ったのですが、
うちみたいに、一度に洗う量が多いとカゴがないと厳しいかもしれないと思ったので、
カゴの撤去は見送り。(広いキッチンは魅力的だが)
上級者の方は、竹ザルで乾かしてる方もいますねー。
本当はあれが理想ですが…。
ただ、セルロースクロスのことはずっと気になっていたので、それだけでも導入してみよと思い、
カゴの外側だけを撤去しました。
Before
After
そして下にセルロースクロスを敷きました。
今まではプラスチックのケースの底に水がたまっていましたが、
セルロースクロスだとそのまま吸い込んでくれます。
なんと、半分にしたらちょうどいいサイズに。笑
食器が乾いたらこちらもエアコン前で乾燥中
外側を取っ払ったことで、全体的に風通しが良くなったのか、
食器が早く乾くようになりました。
そして、使わなくなったカゴの外側は…
使わなくなったと思いきや、ふきんやキッチン用品の漂白用の水桶として使ってます。
だいたい何でも入るサイズでこれはこれで重宝してます。
去年仕立てた単衣と、アンティークの着物
おはようございます。
単衣の着物を全く持っていなかったので、昨年の秋に反物を買って仕立てに出し、
年末に出来上がってきていたのですが、
全く手をつけておらず、
本日おろしました。
浜松紬
機械織りなので、そこまで高くなく買えました。
帯は間に合わせで何にでも合うので重宝してます、博多の半幅帯
単衣なので、着られるのはもう少し先ですねー。
天気がいいのでそのまま他の着物も虫干ししました。
黒の銘仙と赤い襦袢は、アンティーク物です。
銘仙はかなり状態が良く、多分昭和2、30年代の物だと思われますが、その頃には銘仙も廃れて来てるし、どうだろう?
袖が長いので若い人の着物だったのでしょう。
アンティーク着物はひとつのファッションのジャンルのような物で、
銘仙は出回っている物の大多数が袖の長い物。
未婚だ既婚だとか、年齢がどうのとか気にしたら着られなくなってしまうので、
アンティークに関してだけは例にならって袖が長いままで着ています。
赤襦袢はおそらく昭和初期頃、戦前の物と思われます。
だとしたらほぼ100年前の物ですね( ゚д゚)
じつは5000円くらいで買った物なんですが、絶対にもっとすると思います(笑)
古い物(特に衣類)は維持するのが大変なのでできるだけ避けているのですが、
古い着物は独特の雰囲気があり、現代物ではどうしても出せない風合いや色遣いがあるし多少無理してでも持っていたいので、虫喰いとカビに気をつけて頑張ってます。
運がいいことに私は背が低く、背が低い昔の人の着物も普通に着られてしまうことが多いので。
平成29年天長節。しょうけい館と軍馬の像
おはようございます。
年末のまとまった休みは今日までで、明日からほぼ休み無しで年末仕事です。
有馬記念の前日発売があるので、引退するキタサンブラックの記念馬券が欲しいので買うという口実で都内へ出ましたが
普段はネット投票ですが、場外とはいえ馬券を買うと楽しいですねー。
それに何か、今日の新橋駅は…
年末ですねー
まあ、メインの目的はこっちだったんです。
しょうけい館は九段下駅を地上に出てすぐ脇の路地を入って行くとある、傷痍軍人と戦時医療の資料館。
中は撮影禁止になっています。
現在企画展で水木しげる氏の展示をしています。
知らなかったのですが水木氏は戦時中負傷し左腕が無いそうです。
あとゲゲゲの鬼太郎をはじめとする独特の漫画のイメージがありますが、かなり上手なデッサンを残しております(失礼)
その他別な展示もですが、
昔の人は手作りで物を改造したり作製したりする能力がかなり高かったらしく、ブーツを切って改造した短靴、片足で漕ぐ為改造した自転車、義手、義足も個人的に合うように調整した物など
手作りの物がかなりありました。
現代のように、買った方が安上がり、人件費の安い外国での大量生産が普通という時代では
悲しいかなそんなスキルの身につく機会も少なくなってしまいます。
ですが昔の物って本当に作りが丁寧で丈夫なので、いつまでも壊れません。
ドイツの戦艦ビスマルクがいい例ですね(違う?)
しょうけい館2階には、壕を利用した野戦病院を再現したジオラマがあるのですが、
まず入口から暗くて怖いです。
ちなみにここを通らずに次の展示を見る事は出来ないので、怖くても通らないわけにはいきません。
以前曾祖父について書いた記事で、
曾祖父は上膊部(上腕部)を撃たれ野戦病院に搬送されているのですが、
野戦病院というのはこういうものかと参考になりました。
その後兵站病院→陸軍病院と後送されていく過程が記録されていますが、
ここにも陸軍病院や療養所の展示パネルがあります。
その中で、土岐さんという方の受傷後の記録がパネル展示になっていまして、曾祖父と同じ頃に、同じ病院に入院していた記述があり、曾祖父とは1日違いで転院しておりました。
この二人が会うことがあったのかはもちろん定かではないし知る人もいないと思うのですが、
それに曾祖父の負傷後のことを調べるためにここに来たので、
なんでしょうねえ、このからまった糸がほどけていく感じは。
写真撮影禁止でしたので、次回行く時に受付の方に少し聞いてみるつもり。わからないでしょうけど…。
次回、近いうちに行きますよ。何でって、ここには関連図書コーナーがあるのです。
今回は初来館で時間があまり無かったのですが、次回じっくり居座ろうと思います。
しょうけい館を出た後で、花屋に寄り花束を買いました。
靖國神社には、軍馬の慰霊碑があるのです。
軍馬については別な機会に書くつもりですが、戦時中記録されている中でも日本に帰って来れた馬は、一頭記録があるだけで、他はいないそうです。
靖國神社には何度か来ていますが、今度からこちらにも来ようと思います。
その後で遊就館に行きました。
一度全部見ているので、ところどころの観覧になりましたが、最初に見たのが高校卒業してすぐの頃。
年取ってからだと感想がやはり違いました。
曾祖父のことで来てるので日中戦争の部分をメインで。
すごくわかりやすく見やすく書いてある展示パネルがありそれだけでもかなりの成果あり。
ちなみに展示が多く、道に迷いました(^^;)
一度来ているのですけどねぇ。
時間が夕方近かったので、隣の靖國偕行文庫には下見だけに行きました。
そろそろ閉館だというのに、結構人がいました。皆さん調査で来ている方たちのようでした。
私も次回は調査でお邪魔しようと思います。
曾祖父の履歴書。徐州徐州と。
おはようございます。
曾祖父の、軍歴証明書を取り寄せました。
血圧140以上は早めに病院へ!笑
曾祖父は陸軍でしたので、陸軍の軍歴証明は各都道府県の管轄になっています。
前回の記事はこちらになります。
http://bankara3.hatenablog.jp/entry/2017/11/07/225601騎兵の曾祖父
青森県の場合ですが、請求するにあたり必要な情報は
・対象者の本籍
・名前
・生年月日
あとは対象者と請求者の関係が、3親等以内であること。
必要書類は省略します。
私は現在、海軍に在籍していた別な親族の調査で、厚生労働省にも調査依頼を出していますが、そちらは6親等まで可能とのこと。
まずは電話で問い合わせ、↑の情報を担当者にある程度伝えると、該当する記録があるかどうか調べてくれます。
軍歴簿が残ってあり、請求を希望すると、請求者の住所に書類が送られてくるので、記入して、その他指定された必要書類をこちらで用意してまとめて返送します。
しばらくすると軍歴証明書の写しが届きます。
おお!本当に騎兵だった。
表側は徴兵〜兵役中、予備役頃のことがメインで記載されていますが、
後備役任官中に支那事変が勃発、召集されたようで
以下に記載されている〇〇の戦いに参加 のような出来事は、全て後備役の兵隊としての出来事ですが、
昔は徴兵期間を終えた予備、後備役の人も普通に戦争に参加していたということがわかります。
ちなみに日本の徴兵制は、
定められた2年間の兵役の後も、
予備役〜後備役と続き、
さらに第〇國民兵役となり、それが終わってようやくcivilian に戻るという感じで、
映画でよくある「赤紙」は
兵役を終えた予備役、後備役中の人に来るものなのだそうです。
兵隊生活未経験の人に突然来るものだと思っていましたが。
それならまだ話はわかります。
騎兵23連隊は盛岡の部隊、
騎兵第8連隊は弘前、
騎兵第108大隊というのは、詳しくは資料が見つかりませんでしたが、
この、軍歴簿の書き方だと
どうやら騎兵第8連隊が母体となっているようですので、
おそらく大陸派遣用に予備役兵を集めて編成した臨時の部隊かなんかなのでしょうか。
また、祖母が言っていた、「戦争に行く前に弘前にいて、そこへ(祖母の)母が面会に行った」
というのは、事実でしょうね。書いてある通りなら、弘前に集められたはずですから。
裏
パソコンで打ち込まれた物なのでなんか味気ないですが、公印が現実感を出しています。
話がそれましたが、
表からの続きで曾祖父は広島の宇品から、船で朝鮮へ渡り、中国へ行き、
中国北部を転戦し
かの有名な徐州会戦で、被弾したとあります。
何の弾で撃たれたのかは定かではないですが、
過去に医療系の写真図解で貫通銃創の写真を見たことがあるので、結構大き目、結構な出血があったはずだと思います。
落馬はしなかったのだろうか?
馬は無事だったのでしょうか。
それはともかく、戦場という混乱した場所で、撃たれた曾祖父を見つけて傷の処置をし、野戦病院まではこんだ衛生兵や仲間の兵隊の方には、本当に頭の下がる思いです。
靖國神社には、軍馬をはじめ鳩や犬、戦場で人間と一緒に戦った動物の慰霊碑があり、彼らも一緒に戦った仲間として祀られております。
話をもどしますが、
その後は病院を転々とし、内地へ帰還し、第一国民兵役に編入され、
大東亜戦争はまだ続くも、
その後、腕の傷のせいなのか理由はわかりませんが(戸籍では曾祖父は家督でした)召集は無く
終戦を迎えたようです。
私は、曾祖父に会ったことはありませんが、
右腕の貫通銃創の骨折で、当時の医療で、
どの程度回復するのかわかりませんが、果たして生活に困らないほど回復できたのだろうかと思っています。
曾祖父のことを調べたことにより、また新たに知りたいことが増えました。
支那事変の資料、騎兵の資料、当時の戦場における医療…
全て調べるには時間はかかりますが、ある程度調べたら、
この軍歴簿は資料とともに、親族へも届けるつもりでいます。