長年使っている100均グッズ
おはようございます。
100円ショップって、何でも売っていて便利だし、20年前頃の100均黎明期から比べたらかなりイメージ変わりましたよね。
毎週のように100均通いをするマニアの方もたくさんいるようですが、私は数ヶ月に一度行く程度で、主に買う物は、文房具や、キッチン消耗品です。
数年前までは私も、週に一度とは言えませんが、割と頻繁に通っていました。
通わなくなった理由は、
・引っ越したら、近くに店舗が無かった(前は行きつけのスーパーに併設されていたので、買い物しなくても見るだけに行っていた)
・100均の店舗や商品は、心理的に働きかけて買いたくなる工夫をされているから、いらない物も買ってしまう危険性がある。
・現在最寄りの100均にはマナーの良くない客が多く、あまり行きたくない。
の3つが大きい理由だと思います。
そして、100均に頻繁に行くことをやめたら、おもしろいことがわかりました。
毎回同じ物しか買わない。
頻繁に行くと、「あれも」「これも」
結構買う予定の無い物まで買ったりするもんです。
それで、私が100均グッズで長年使っている物、
これに関してはそこまで消耗品では無いので頻繁には買いませんが、とても便利で気に入って使っている物があるので紹介しま す。
ソフトビニールケース(seria)
サイズも豊富。
部屋中この袋だらけになっていることは、
言うまでもないです。
中身が見えて困らない物は、
だいたいなんでも系統分けしながらこのケースに入れています。
むしろ、開けて確認するのがめんどくさいので
中身が見えた方が好都合なんです
バッグの中がゴチャゴチャの人、
私はこれで解消しましたよー(笑)
たっぷり入るA4サイズ
旅行や出張で使う日用品はぜんぶこれに入れ、スーツケースへ。
そしてこのソフトビニールケースには亜種が存在して、
ポケットがダブルで付いている物や、柄入りのものがあります。
ちなみに、ダイソーにも似た物が置いてあり、
そちらはサイドのベロの部分にクリップのような、フックのような
プラスチックで出来た物が付いていて、
ポーチのビニール部分の質感もセリア製品とは少し違い、ファスナー部の色の系統もフューシャピンクやグリーンなどの原色系。
特に気にならない人がほとんどだと思うのですが、
私はセリア製品の色展開
ベージュやピンクや水色の、薄めの色が気に入っているので、セリア派です。
これからも販売し続けてほしい^_^
11/21 謎の光
おはようございます。
昨日、夜の9時半に、
南の空に謎の緑色の光を見たのですが、
見た方いらしゃいますか?
私が見たのは、家の中から
近所の神社の上空。
緑色の光がゆっくり降りて来て、一瞬強く光って消えました。
だから、パリピ系の人たちが、神社前の広場に集まって季節外れの打ち上げ花火でもしているのかと思ったのですが、
窓を開けても、風の音すらしませんでした。
そんななので、段々不気味になってきて、
神社の上空だし、超常現象系
小一時間ほど前、隣の家から、
やけにデカい物音もしていたし…
…
こういうのは、Twitterが強いと思い、
普段見もしないTwitterを見てみると…
(空 光 で検索)
私と同じく、緑色の光を見たというツイートが出てくる出てくる。
明けて本日。
ネットニュースにも出ていました。
おそらく、「火球」という隕石らしいのです。
https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/life/amp/171122/lif1711220004-a.html
動画では、2回光っていますが、私が見た時は一度だけ光りました。
流れ星は、2回か3回、見た事がありますが、
隕石は初めてでした。
隣の家の、デカい物音は
おそらく隣のオッサンが転んだかなんかしたのでしょう。
騎兵の曾祖父
おはようございます。
前回、称徳館の記事 で、
多少ながら軍馬補充部について触れました
その時思い出したのですが、
父方の曾祖父が「支那事変に従軍していた」こと。
父方の曾祖父、私の祖母の父なのですが、私の出生時既に故人であったのと、
祖母も曾祖父の従軍当時まだ3歳そこそこだったようで記憶には無く、
私の父から得たわずかな情報
「実家の敷地の農機具置き場兼車庫になっている建物は 元々厩舎で、父が小学生くらいの頃までは、馬がいた」
「派遣先は満州ではなく上海」
「騎兵銃を常に背負っていた為こすれて背中に傷が絶えなかった」
「交戦中被弾して帰国」
ちなみに、当時の写真はあるらしいが祖母も嫁いで来ている為、どこで誰が保存しているか不明。多分祖母の兄の家にあるんだろうけど。
ここで確実と思えるのは、騎兵だったということ。
あとは青森県弘前市という情報から、所属部隊は当時弘前市にあった第8騎兵連隊だったと思われる。
祖母の家系は代々農家なので、(昔の農家にはだいたい馬がいた)馬の扱いに慣れているであろう農家出身の曾祖父が、徴兵後に騎兵部隊に配属されるのは、自然なことではないだろうか。
多分というかほぼ絶対志願兵ではないだろう。当時は徴兵制だったし農家だし。
話はそれるが、バイクの記事で、「バイク初心者サポートラボ」のGon-K様と対談した際、
(リンク貼ってみます。笑)
「バイク乗りの血統」といわれた私だが、
今思ってみると、馬にも関わることになる血統だったのかも知れません。
雷魚 エサの話番外編 【プレコの餌】
おはようございます。
雷魚エサの話も書いたので、プレコも飼っていたし、プレコのエサの話でもしますか。
プレコの餌は、基本的にひかりクレストプレコ
元いた熱帯魚店でこれを食べていたので、餌付けは必要ありませんでした。
意外と知られていないのが、うちで飼っていたプレコ(サッカープレコ)は雑食
(水槽のコケも食べるせいか、草食だと思われている)
この、ひかりクレストプレコを製造している、キョーリンのウェブサイトで、ひかりクレストプレコの開発秘話を見ることができる。
http://www.kyorin-net.co.jp/topics/to08.html
大変な苦労がうかがえる。
ちなみに、うちで与えたことのある餌も、特に変わり映えしないですゴメンなさい(笑)
・ホウレンソウ
・レタス
・白菜
・キャベツ
・カブの葉
・なめろう
・その他刺身類
である。
カブの葉は、辛味があったのか何なのか、あまり食べませんでした。
また、ひかりクレストプレコ開発秘話にもあるように、プレコといっても、種類や個体差により食べる餌食べない餌があるので、ここに書いた話は、あくまで「私の飼っていた」サッカープレコの話であることをご理解ください。
なめろうを食べている プレコ
馬産地・青森、三本木
おはようございます。
今年の2月、地元の青森県に帰った際、
称徳館を訪問しました。
絶滅した日本在来種、南部馬の最後の一頭、盛(さかり)号の実物大標本
「平家物語」にも登場する南部馬
焼印と、江戸時代に馬を管理する為につけられていた、馬の戸籍謄本のような資料
(馬が死亡したら出す死亡届のようなものも存在して管理されていた)
ナリタブライアンの蹄鉄
馬鈴。
芋の「馬鈴薯」ってコレに由来するのだと思う。
世界各地の、馬のおもちゃ
この、十和田市は昔から馬の産地として有名で、牧場や実際の馬は昔に比べて減ったものの、現在も流鏑馬や馬関連のイベントがあり、今でも馬産地の面影はある。
ここの、展示の最後の方に、軍馬補充部についての展示があった。
昔々、軍隊に「騎兵」という兵科があった頃、軍隊で働く馬を調教する為十和田にあった軍馬補充部は、全国で最大規模だったが、戦後やはり解体され、 資料もほとんど失われてしまった。
ここにある軍馬補充部の資料も、個人から寄贈されたものがほとんど。
また、軍馬補充部については、旧十和田湖町エリアにある郷土館 にも資料があることを最近知り、年内は無理だが、近いうちにそちらも訪問する予定。
青森県の廃競馬場跡
おはようございます。
今年のお盆に、実家に帰った道中、
その際、私の大好きな
グリーンチャンネルの 競馬ワンダラーという番組にも登場した
廃競馬場跡が
近くにあり、
せっかくなので 寄りました。
真ん中少し上に ある平行四辺形のトラックが競馬場。
ちなみに津軽鉄道は、全国でも数少ない
汽車を使っている現役のローカル線。
走る列車からは、汽笛が聞こえます。
有名なのは、冬に期間限定で運行される
ストーブ列車。
・津軽鉄道株式会社
話を戻して 競馬場ですが、
こちらは 特に遺跡とか史跡とか、
観光地ではありません。
一部資料によると、小説家の太宰治の父が、
この競馬場の設立に携わったうちの一人だとか。
金木競馬場(芦野競馬場)
この競馬場は戦前に廃止された為、
入口ゲートも 周りの住宅地に溶け込んでしまい
使われなくなって そろそろ100年
多分いつ消えてしまってもおかしくないのです。
門の中側。
画像奥が、競馬場の門。
門から本馬場に歩いていく途中。
ここの場所が多分、ゴール前。
パノラマ
googleアースの航空写真も、
半分は競馬場のトラックの面影を残したまま…