盛岡 騎兵連隊の覆馬場
おはようございます。
先日の記事で、東北に戻ったことに少し触れましたが、
以前紹介した私の曾祖父が軍隊生活を送っていた岩手県盛岡市青山に
明治時代の建築である陸軍の覆馬場がある。
参照:http://bankara3.hatenablog.jp/entry/2017/12/16/001947曾祖父の履歴書。徐州徐州と。
外観や内部はリフォームされているが、
リフォームに際し使われた材木や煉瓦は
なるべく当時のものを再利用した。
戦後は引き揚げ者の住宅、大手企業(森永乳業、日本通運)の倉庫などとそのまま使われていたが、
不要になったり老朽化して、免震工事の必要があったりで、実は何度か存亡の危機に直面し、その際、全部で六つ(戦後は3つ)あった同タイプの覆馬場は、この一つを残し姿を消していった。
最後の一つとなった覆馬場は、地元の青山地区の有志の熱意により、維持し残すことに決まる。
そして「盛岡ふれあい覆馬場プラザ」と名前を変え、
イベントホールとして今も使われている。
内部
ナントカ様式(すみません、失念しました)という日本に数カ所しか無い建て方の屋根だそうで、建築士を目指す方が勉強しに見学に訪れるそうです。
窓が多く日中なら曇りでも照明なしで明るい
中央部は土だが端は床張りの為、床の部分は土足不可。真ん中の土のところはフットサルやテニスの練習に使われているらしい。
昭和の頃の青山地区と観武練兵場周辺の地図
現在、「23K」の位置には森永乳業、
「24K」の位置はスーパーマーケットと幼稚園、
偕行社の位置は県営体育館の入口になっている。
「馬糧倉庫」の位置は現在牛丼のすき家が建っており、
今は馬ではなく人間のお腹を満たしている。
この、太い線で囲まれた区画はそのまま当時の面影を残していることがGoogleの航空写真でも確認できる。
盛岡ふれあい覆馬場プラザは、上記地図画像の「24K」の位置にある為、騎兵24連隊の覆馬場であったことがわかる。
案内していただいた覆馬場プラザ管理のボランティアの方いわく「田中角栄もここで訓練していたかもね?」
私の曾祖父が青春を捧げた23連隊の覆馬場は、残念ながら現在は残っていない。
ただし、この覆馬場と同タイプの作りな為、当時に思いを馳せるには充分な遺構である
23連隊の建物は、覆馬場、さらに騎兵第3旅団司令部隊舎(23連隊側の区画にある)が戦後まで存在し、森永乳業が使っていたが後に解体
このため23連隊の遺構は、現在
「騎兵23連隊営門」
のみが残っているが、これについては後日記載する。