平成29年天長節。しょうけい館と軍馬の像
おはようございます。
年末のまとまった休みは今日までで、明日からほぼ休み無しで年末仕事です。
有馬記念の前日発売があるので、引退するキタサンブラックの記念馬券が欲しいので買うという口実で都内へ出ましたが
普段はネット投票ですが、場外とはいえ馬券を買うと楽しいですねー。
それに何か、今日の新橋駅は…
年末ですねー
まあ、メインの目的はこっちだったんです。
しょうけい館は九段下駅を地上に出てすぐ脇の路地を入って行くとある、傷痍軍人と戦時医療の資料館。
中は撮影禁止になっています。
現在企画展で水木しげる氏の展示をしています。
知らなかったのですが水木氏は戦時中負傷し左腕が無いそうです。
あとゲゲゲの鬼太郎をはじめとする独特の漫画のイメージがありますが、かなり上手なデッサンを残しております(失礼)
その他別な展示もですが、
昔の人は手作りで物を改造したり作製したりする能力がかなり高かったらしく、ブーツを切って改造した短靴、片足で漕ぐ為改造した自転車、義手、義足も個人的に合うように調整した物など
手作りの物がかなりありました。
現代のように、買った方が安上がり、人件費の安い外国での大量生産が普通という時代では
悲しいかなそんなスキルの身につく機会も少なくなってしまいます。
ですが昔の物って本当に作りが丁寧で丈夫なので、いつまでも壊れません。
ドイツの戦艦ビスマルクがいい例ですね(違う?)
しょうけい館2階には、壕を利用した野戦病院を再現したジオラマがあるのですが、
まず入口から暗くて怖いです。
ちなみにここを通らずに次の展示を見る事は出来ないので、怖くても通らないわけにはいきません。
以前曾祖父について書いた記事で、
曾祖父は上膊部(上腕部)を撃たれ野戦病院に搬送されているのですが、
野戦病院というのはこういうものかと参考になりました。
その後兵站病院→陸軍病院と後送されていく過程が記録されていますが、
ここにも陸軍病院や療養所の展示パネルがあります。
その中で、土岐さんという方の受傷後の記録がパネル展示になっていまして、曾祖父と同じ頃に、同じ病院に入院していた記述があり、曾祖父とは1日違いで転院しておりました。
この二人が会うことがあったのかはもちろん定かではないし知る人もいないと思うのですが、
それに曾祖父の負傷後のことを調べるためにここに来たので、
なんでしょうねえ、このからまった糸がほどけていく感じは。
写真撮影禁止でしたので、次回行く時に受付の方に少し聞いてみるつもり。わからないでしょうけど…。
次回、近いうちに行きますよ。何でって、ここには関連図書コーナーがあるのです。
今回は初来館で時間があまり無かったのですが、次回じっくり居座ろうと思います。
しょうけい館を出た後で、花屋に寄り花束を買いました。
靖國神社には、軍馬の慰霊碑があるのです。
軍馬については別な機会に書くつもりですが、戦時中記録されている中でも日本に帰って来れた馬は、一頭記録があるだけで、他はいないそうです。
靖國神社には何度か来ていますが、今度からこちらにも来ようと思います。
その後で遊就館に行きました。
一度全部見ているので、ところどころの観覧になりましたが、最初に見たのが高校卒業してすぐの頃。
年取ってからだと感想がやはり違いました。
曾祖父のことで来てるので日中戦争の部分をメインで。
すごくわかりやすく見やすく書いてある展示パネルがありそれだけでもかなりの成果あり。
ちなみに展示が多く、道に迷いました(^^;)
一度来ているのですけどねぇ。
時間が夕方近かったので、隣の靖國偕行文庫には下見だけに行きました。
そろそろ閉館だというのに、結構人がいました。皆さん調査で来ている方たちのようでした。
私も次回は調査でお邪魔しようと思います。
曾祖父の履歴書。徐州徐州と。
おはようございます。
曾祖父の、軍歴証明書を取り寄せました。
血圧140以上は早めに病院へ!笑
曾祖父は陸軍でしたので、陸軍の軍歴証明は各都道府県の管轄になっています。
前回の記事はこちらになります。
http://bankara3.hatenablog.jp/entry/2017/11/07/225601騎兵の曾祖父
青森県の場合ですが、請求するにあたり必要な情報は
・対象者の本籍
・名前
・生年月日
あとは対象者と請求者の関係が、3親等以内であること。
必要書類は省略します。
私は現在、海軍に在籍していた別な親族の調査で、厚生労働省にも調査依頼を出していますが、そちらは6親等まで可能とのこと。
まずは電話で問い合わせ、↑の情報を担当者にある程度伝えると、該当する記録があるかどうか調べてくれます。
軍歴簿が残ってあり、請求を希望すると、請求者の住所に書類が送られてくるので、記入して、その他指定された必要書類をこちらで用意してまとめて返送します。
しばらくすると軍歴証明書の写しが届きます。
おお!本当に騎兵だった。
表側は徴兵〜兵役中、予備役頃のことがメインで記載されていますが、
後備役任官中に支那事変が勃発、召集されたようで
以下に記載されている〇〇の戦いに参加 のような出来事は、全て後備役の兵隊としての出来事ですが、
昔は徴兵期間を終えた予備、後備役の人も普通に戦争に参加していたということがわかります。
ちなみに日本の徴兵制は、
定められた2年間の兵役の後も、
予備役〜後備役と続き、
さらに第〇國民兵役となり、それが終わってようやくcivilian に戻るという感じで、
映画でよくある「赤紙」は
兵役を終えた予備役、後備役中の人に来るものなのだそうです。
兵隊生活未経験の人に突然来るものだと思っていましたが。
それならまだ話はわかります。
騎兵23連隊は盛岡の部隊、
騎兵第8連隊は弘前、
騎兵第108大隊というのは、詳しくは資料が見つかりませんでしたが、
この、軍歴簿の書き方だと
どうやら騎兵第8連隊が母体となっているようですので、
おそらく大陸派遣用に予備役兵を集めて編成した臨時の部隊かなんかなのでしょうか。
また、祖母が言っていた、「戦争に行く前に弘前にいて、そこへ(祖母の)母が面会に行った」
というのは、事実でしょうね。書いてある通りなら、弘前に集められたはずですから。
裏
パソコンで打ち込まれた物なのでなんか味気ないですが、公印が現実感を出しています。
話がそれましたが、
表からの続きで曾祖父は広島の宇品から、船で朝鮮へ渡り、中国へ行き、
中国北部を転戦し
かの有名な徐州会戦で、被弾したとあります。
何の弾で撃たれたのかは定かではないですが、
過去に医療系の写真図解で貫通銃創の写真を見たことがあるので、結構大き目、結構な出血があったはずだと思います。
落馬はしなかったのだろうか?
馬は無事だったのでしょうか。
それはともかく、戦場という混乱した場所で、撃たれた曾祖父を見つけて傷の処置をし、野戦病院まではこんだ衛生兵や仲間の兵隊の方には、本当に頭の下がる思いです。
靖國神社には、軍馬をはじめ鳩や犬、戦場で人間と一緒に戦った動物の慰霊碑があり、彼らも一緒に戦った仲間として祀られております。
話をもどしますが、
その後は病院を転々とし、内地へ帰還し、第一国民兵役に編入され、
大東亜戦争はまだ続くも、
その後、腕の傷のせいなのか理由はわかりませんが(戸籍では曾祖父は家督でした)召集は無く
終戦を迎えたようです。
私は、曾祖父に会ったことはありませんが、
右腕の貫通銃創の骨折で、当時の医療で、
どの程度回復するのかわかりませんが、果たして生活に困らないほど回復できたのだろうかと思っています。
曾祖父のことを調べたことにより、また新たに知りたいことが増えました。
支那事変の資料、騎兵の資料、当時の戦場における医療…
全て調べるには時間はかかりますが、ある程度調べたら、
この軍歴簿は資料とともに、親族へも届けるつもりでいます。
聖シャンバラ 横尾忠則版画展
おはようございます。
12月2日、横尾忠則氏の連作版画聖シャンバラの展示と出来たてホヤホヤの新作がいくつか展示販売されているというので、横須賀市にあるカスヤの森現代美術館へ行きました。
というか、「12月2日はイベント開催の為一般の方の入場は午後2時までです。」とホームページに告知されていたにもかかわらず、確認しておらず2時過ぎに行ってしまうというKYぶり
大変ご迷惑をおかけしました…
にもかかわらず、館長さんをはじめスタッフの皆さんはまるでシャンバラの住人であるかのように広い心で丁寧に受け入れて下さり、案内していただきました。
本当に失礼致しました。
そして、ありがとうございました。
カスヤの森現代美術館は、個人経営の美術館で規模は小さめですが、私のようにシュルレアリスム、ダダ系が好きな人は常設展示も含めて結構楽しめると思います。
駐車場は2、3台分ありますが、住宅地にある為来るまでの道が途中からかなり狭くなるので、バスから徒歩という訪問スタイルをおすすめします。
横尾氏の展示は数年前、青森県立美術館であったのですが、米留学の頃だったので結局、その時は行けず、
今回は非常に楽しみにしておりました。
最初に横尾氏の作品と出会ったのは、仙台市のショッピングモールで、
天井桟敷のポスター展があり、
そこにたまたま立ち寄ったのでラッキーと思い見に行ったのが最初です。
てか、思えば私の地元青森県に、
寺山修司記念館というのがあるのに、
なぜか仙台で…
カスヤの森の館長さんは、「横尾さんのファンは男性が多いのですよ」と教えてくれましたが、
まあ私の脳はどちらかといえば男性ですので…笑
私は、横尾氏のユーモアのセンス がとても好きなのです。
今回、新作で展示されていた絵で、
女性の顔面にレタスが付いている絵があったのですが、
奇しくも最近、レタスの値段が高く
多分ですが雨の影響でレタスの出来が悪く、
外の傷んだ葉をかなりむしって小さくされたのか、巻きの少ない小さいレタスが高値で売られていて、
その絵の女性の顔面にボンと置かれたレタスが
まさにスーパーの野菜売り場のレタスとかぶって見えて
その絵が大変気に入りました。笑
さて、聖シャンバラですけど、
私の世話をよくしてくれていた祖母が、曹洞宗の在家の行者で、昔から子供の私を連れて一緒によくお寺に行ったもので、私は今でも神社とか神道のものよりお寺、仏教のほうが身近に感じます。神社も好きですけどね。
明治政府に禁止されたけど今でも本当の日本の伝統宗教は神道と仏教のフュージョンだと思っていますし。
だから今でも田舎の神社とかで、御神体が観音様だったり、お寺の敷地内に鳥居があったりするとテンションあがりますね。ああここは、神仏分離を免れてひっそり守られて来たんだなあと。
ヨガとかも興味はあり実際流行ってますけど、コミュ障の私は1日体験すらできずにいます。
多分、その時が来ればなるようになると思うので、あまり気にしてはいませんが。
横尾氏もシャンバラを知ったのは空飛ぶ円盤について調べている頃のことだったようで
そういえば先月、私も結構デカめの隕石見たしなぁ。
長年使っている100均グッズ
おはようございます。
100円ショップって、何でも売っていて便利だし、20年前頃の100均黎明期から比べたらかなりイメージ変わりましたよね。
毎週のように100均通いをするマニアの方もたくさんいるようですが、私は数ヶ月に一度行く程度で、主に買う物は、文房具や、キッチン消耗品です。
数年前までは私も、週に一度とは言えませんが、割と頻繁に通っていました。
通わなくなった理由は、
・引っ越したら、近くに店舗が無かった(前は行きつけのスーパーに併設されていたので、買い物しなくても見るだけに行っていた)
・100均の店舗や商品は、心理的に働きかけて買いたくなる工夫をされているから、いらない物も買ってしまう危険性がある。
・現在最寄りの100均にはマナーの良くない客が多く、あまり行きたくない。
の3つが大きい理由だと思います。
そして、100均に頻繁に行くことをやめたら、おもしろいことがわかりました。
毎回同じ物しか買わない。
頻繁に行くと、「あれも」「これも」
結構買う予定の無い物まで買ったりするもんです。
それで、私が100均グッズで長年使っている物、
これに関してはそこまで消耗品では無いので頻繁には買いませんが、とても便利で気に入って使っている物があるので紹介しま す。
ソフトビニールケース(seria)
サイズも豊富。
部屋中この袋だらけになっていることは、
言うまでもないです。
中身が見えて困らない物は、
だいたいなんでも系統分けしながらこのケースに入れています。
むしろ、開けて確認するのがめんどくさいので
中身が見えた方が好都合なんです
バッグの中がゴチャゴチャの人、
私はこれで解消しましたよー(笑)
たっぷり入るA4サイズ
旅行や出張で使う日用品はぜんぶこれに入れ、スーツケースへ。
そしてこのソフトビニールケースには亜種が存在して、
ポケットがダブルで付いている物や、柄入りのものがあります。
ちなみに、ダイソーにも似た物が置いてあり、
そちらはサイドのベロの部分にクリップのような、フックのような
プラスチックで出来た物が付いていて、
ポーチのビニール部分の質感もセリア製品とは少し違い、ファスナー部の色の系統もフューシャピンクやグリーンなどの原色系。
特に気にならない人がほとんどだと思うのですが、
私はセリア製品の色展開
ベージュやピンクや水色の、薄めの色が気に入っているので、セリア派です。
これからも販売し続けてほしい^_^
11/21 謎の光
おはようございます。
昨日、夜の9時半に、
南の空に謎の緑色の光を見たのですが、
見た方いらしゃいますか?
私が見たのは、家の中から
近所の神社の上空。
緑色の光がゆっくり降りて来て、一瞬強く光って消えました。
だから、パリピ系の人たちが、神社前の広場に集まって季節外れの打ち上げ花火でもしているのかと思ったのですが、
窓を開けても、風の音すらしませんでした。
そんななので、段々不気味になってきて、
神社の上空だし、超常現象系
小一時間ほど前、隣の家から、
やけにデカい物音もしていたし…
…
こういうのは、Twitterが強いと思い、
普段見もしないTwitterを見てみると…
(空 光 で検索)
私と同じく、緑色の光を見たというツイートが出てくる出てくる。
明けて本日。
ネットニュースにも出ていました。
おそらく、「火球」という隕石らしいのです。
https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/life/amp/171122/lif1711220004-a.html
動画では、2回光っていますが、私が見た時は一度だけ光りました。
流れ星は、2回か3回、見た事がありますが、
隕石は初めてでした。
隣の家の、デカい物音は
おそらく隣のオッサンが転んだかなんかしたのでしょう。
騎兵の曾祖父
おはようございます。
前回、称徳館の記事 で、
多少ながら軍馬補充部について触れました
その時思い出したのですが、
父方の曾祖父が「支那事変に従軍していた」こと。
父方の曾祖父、私の祖母の父なのですが、私の出生時既に故人であったのと、
祖母も曾祖父の従軍当時まだ3歳そこそこだったようで記憶には無く、
私の父から得たわずかな情報
「実家の敷地の農機具置き場兼車庫になっている建物は 元々厩舎で、父が小学生くらいの頃までは、馬がいた」
「派遣先は満州ではなく上海」
「騎兵銃を常に背負っていた為こすれて背中に傷が絶えなかった」
「交戦中被弾して帰国」
ちなみに、当時の写真はあるらしいが祖母も嫁いで来ている為、どこで誰が保存しているか不明。多分祖母の兄の家にあるんだろうけど。
ここで確実と思えるのは、騎兵だったということ。
あとは青森県弘前市という情報から、所属部隊は当時弘前市にあった第8騎兵連隊だったと思われる。
祖母の家系は代々農家なので、(昔の農家にはだいたい馬がいた)馬の扱いに慣れているであろう農家出身の曾祖父が、徴兵後に騎兵部隊に配属されるのは、自然なことではないだろうか。
多分というかほぼ絶対志願兵ではないだろう。当時は徴兵制だったし農家だし。
話はそれるが、バイクの記事で、「バイク初心者サポートラボ」のGon-K様と対談した際、
(リンク貼ってみます。笑)
「バイク乗りの血統」といわれた私だが、
今思ってみると、馬にも関わることになる血統だったのかも知れません。